【相撲】落語「佐野山」文字起こし🖐️☺️

落語
昔からこの名力士と言われる人はたくさんおったわけでござ
いますが、歴代のこの横綱の中でやはり谷風梶之助、または小野川喜三郎、
雷電為右衛門、阿武松緑之介(おおのまつ・みどりのすけ)、そぉいぅまぁス
ゴイ名前が並んでる。

 この横綱・大関と言われる人は代々名前を継いでいったりもしますし、谷
風なんかはもぉ江戸時代のその相撲取りといぅので、一人だけでも燦然と輝
く名前でございます。谷風の物語といぅのも講談・浪曲にはたくさんあるん
でございますが……
谷風
谷風
これ……、これッ……、そこで泣いてなさるのは誰じゃ? 誰じゃ、そこで泣いてる……、何じゃい、佐野山関やないかいな、佐野山関じゃろ?
佐野山
佐野山
こ、これは谷風関、えらい不細工なところを見せてしもぉて……
谷風
谷風
いやいや、かまやせん。が、何を泣いてなさる? ん、相撲取りに涙は禁物じゃ、相撲取りといぅものはなぁ、悲しぃことがあってもニコニコ笑ろとるほぉがな、値打があるぞ。また絵になるといぅもんじゃ。何を泣いてなさる?
佐野山
佐野山
もぉ、情けのぉて泣いとります
谷風
谷風
何で情けのぉなった?
佐野山
佐野山
あんたに聞ぃてもぉても仕方がないが、一応聞ぃてもらいましょ~、いや一年にいっぺんな、お江戸の相撲にこぉして来てもろて、大阪相撲、晴天十日の大相撲さしてもぉとりますがなぁ、あんたらお江戸の相撲は強いなぁ。今、番付見ましても上のほぉはみ~んなお江戸の衆じゃ。
谷風
谷風
当たり前じゃ、強い者が番付の上に載る、こら当り前のことじゃ
佐野山
佐野山
さぁ、そら分かっとる。分かっとるけどな、大阪の相撲も頑張っとるんじゃ。あんたらは強い、大阪の相撲ではもぉとてもかなやせん。あんたらお江戸から招いてもな、わしらは恥かいとるよぉなもんじゃ。
佐野山
佐野山

またなぁ、人気もあんたらが一番じゃなぁ、大阪相撲の人気、評判、これがドンドン・ドンドン下がる。情けのぉ思ぉての。いやいや、こんなことでぼやいとるわけやない、晴天十日の大相撲、今日、九日過ぎました。わしゃ九日みんな負けました。

佐野山
佐野山

いや、勝つ負けるはしかたがない。けどな、さっきそこで若いものがな、噂しとるのを耳に入れて情けのぉての

谷風
谷風

何を若いもんが言ぅとった?

佐野山
佐野山

「あの佐野山関といぅのは九日のあいだみ~んな負けたが、あれでもまだ相撲取り続けるつもりか? あの佐野山関の名前を知っとるか?」と、こぉいぅ風に聞くんじゃ。

佐野山
佐野山

「佐野山関の名前は『佐野山』に決まっとるやないかい」「さぁそれがな、もぉ一つあるらしぃ」「佐野山のほかに、もぉ一つ四股名があるんかい?」「『でるとまけ』ちゅうんやそぉな」「出ると負けるで『でるとまけ』じゃ『でるとまけ』いつまで続くんじゃろ」言ぅてな、若いもんが笑ろとるんで、わしゃ情けのぉなってなぁ。

谷風
谷風

これッ、そんなことで気を落としとる場合やないぞ「でるとまけ」何が悪いことあるかい「でるとまけ」と言われても結構じゃないかい、なぁ、もっとひどい四股名ならそれ「うでがおれ」とか「とればしに」とか、それよりはましじゃ。

佐野山
佐野山

そんなん、慰めにもならん「でるとまけ」で十分じゃ。若いもんにそんなこと言われてまで相撲取っとる場合やないんでな、わしゃあした相撲取って辞めよぉと思います、土俵を降りよぉと思う。しかしなぁ、一番終いの相撲ぐらいは何とかしたいがなぁ……

谷風
谷風

あしたも負けると思う、いやいや、慰め言わんといてくれ、必ず負けると思う、わしゃ弱い。最後の花咲かしたいがどぉにもならんのでな、わしゃここで情けのぉて泣いとります。

谷風
谷風

そぉですかい、そら気の毒ですなぁ……。いや、しかたがない、相撲取りといぅものはな、相撲取りになった日から辞める日のことは頭の中に浮かぶもんじゃ。ご苦労さんでしたなぁ、はい、分かりました。またどっかで会うか分かりませんでな、その時にはよろしゅ~に、はい、気ぃ付けてお帰りをな……

谷風
谷風

気の毒じゃがしかたがないのぉ、新しく入ってくる相撲取りもあれば、また辞める相撲取りもある、しかたがないわい……、おぉ、それより今日の相撲が肝心じゃ、さッ、支度しょ~かい。

親方
親方

谷風、谷風ッ

谷風
谷風

こらぁ親方

親方
親方

支度をせぇ、結びを取らにゃならん

谷風
谷風

そぉじゃ親方、一つ聞きたいことがあるんじゃが?

親方
親方

何じゃ? 聞きたいこととわ?

谷風
谷風

大阪相撲の佐野山関のことじゃがなぁ

親方
親方

あぁ「でるとまけ」かい

谷風
谷風

親方もそぉ呼んどるんかい……、あの相撲取りはどんな人かなぁ?

親方
親方

何? 横綱のお前が、何であんな相撲取りのことが気になる? 佐野山、あらな、えぇ男じゃ。あんなえぇ男はまぁおらん。えぇ男じゃが相撲は弱い。九日のあいだみな負けとるはずじゃ、あと一日残っとるがなぁ、あしたもおそらく負けるじゃろ。そのうちに土俵をわしゃ降りると思うがのぉ。

谷風
谷風

前からそんなに弱い相撲取りかい?

親方
親方

いや、そやない。あの位置に残っとるんじゃ、前はそこそこは強かったが、この頃はドンドン弱おぉなった

谷風
谷風

何でまた弱わなったんじゃ?

親方
親方

いや、これにはわけがあってな、あの佐野山はな、五年前に嫁をもろての。

谷風
谷風

五年前に嫁を?

親方
親方

ん、子どもが十人できてな

谷風
谷風

何じゃ、数が合わんなぁそら。五年前に嫁もろて、十人の子ども?

親方
親方

あぁ、五年続けて双子が生まれての、それで子どもが十人になってな。そしてな、去年から親には寝込まれてしもぉてなぁ、医者には見せてやらにゃいかん、薬も盛らにゃいかん、子どもを食わしてやらにゃいかん。そぉなると自分の食べるもんを減らすわい。

親方
親方

お前もよぉ分かるじゃろぉがな、相撲取りは呑めば呑み力(りき)、食えば食い力、それだけの力(ちから)が出る。それを減らしたがためにな、ドンドン・ドンドン弱おぉなっていったんじゃ。気の毒じゃがしかたがないのぉ。

谷風
谷風

そぉですかい

親方
親方

わしゃそのうちに、あの男は辞めると思うなぁ。土俵降りると思う

谷風
谷風

そぉですかい……、親方、一つ頼みが

親方
親方

谷風、こらッ、何をする?こらッ、そんなとこへ手をついて頭下げて天下の横綱が。若いもんが見とったら笑うやろ、手ぇ上げぇ。

谷風
谷風

いや、聞ぃてもらいたいことが一つありますで

親方
親方

何じゃい?

谷風
谷風

あしたの千秋楽結びの一番、佐野山関と取らしてもらうわけにはいかんかのぉ?

親方
親方

何?お前、頭がどぉかなったんと違うか? 千秋楽結びの一番は小野川喜三郎、横綱同士が当たると決まっとるやないかい。それが、天下の横綱谷風梶之助と「でるとまけ」を当てるわけにはいかんわい、そぉじゃろ。

谷風
谷風

それはよぉ分かっとります。分かっとるがなぁ、もぉ無理言ぅことはこの生涯のうちこれきりにしますでな、あした一日だけ、すまんが佐野山関と取らしてくだんせ

親方
親方

ならんッ! お客が「うん」と言ぅかい、ならんッ

谷風
谷風

そぉですかい、頭下げて頼んでもダメですかな?

親方
親方

ならんッ!

谷風
谷風

なら結構じゃ、そんならわし、今から荷物まとめて江戸へ帰るでな

親方
親方

待てこれッ、何ちゅうことを

谷風
谷風

いや、わしゃ考えるとこがあってな、佐野山関と取らしてもらえんのなら、もぉここにおってもしかたがない、江戸へ帰るッ!

親方
親方

ちょ、ちょっと待て。それを言ぅなら、あした佐野山と取らそぉ

谷風
谷風

大丈夫か?

親方
親方

あぁ、大丈夫じゃ

谷風
谷風

みんな文句言ぅじゃろ?

親方
親方

構やせん、尻はわしが引き受けたで、大丈夫じゃ。いやいや、まだ間に合うわい。あしたの先触れまでに間に合うでな、前触れ言ぅ者にちゃんと言ぅとくで大丈夫じゃ心配要らん。

谷風
谷風

みんなに文句言われたらどぉする?

親方
親方

構やせん、みんなが「そらあかん、そら許すことができん」と、こぉ言ぅたらな、二人で荷物まとめてお江戸へ帰ったら終いじゃ

谷風
谷風

我がまま、聞ぃてもらえますかい?

親方
親方

心配要るかい、お前の心根はよぉ分かった。昔からな、横綱といぅものは「心・技・体」揃ぉてこそ横綱といぅなぁ、お前の体(からだ)と技(わざ)は十分じゃと思う。心根がどぉかと思とったが、今日はっきり分かった。あぁ、立派な横綱じゃ、あした佐野山にえぇ花を持たしてやれ。

谷風
谷風

親方、ありがとぉございます

親方
親方

頭下げるんじゃない、構わんかまわん、それより今日の相撲が大事じゃ、今日の相撲をしっかり取れ、なッ、しっかり取ってあした佐野山に花を持たせッ

谷風
谷風

ありがとぉございます

親方
親方

ん、先触れに言ぅとくでな……

町民
町民

おい、おいおいおい

町民
町民

えっ?

町民
町民

違うがな、もぉすぐな、あしたの前触れや。あしたの千秋楽結びの一番、こんなん決まってるで、谷風と小野川て決まってるで。決まってるけどもやな、改めて「谷風、小野川」て聞くのが嬉しぃやないか、わしら客として。

町民
町民

ほらッ、出て来た出て来た、えぇ声やなぁおい「あすの千秋楽結びの一番、谷風、佐野山」佐野山……? おい、今お前どぉ聞こえた?

町民
町民

えっ?

町民
町民

谷風と佐野山? おかしぃやないかいなこれ、横綱と「でるとまけ」? おかしぃでこれ、どないなったぁんねん?

町民
町民

お~い、お~いッ、おかしぃんとちゃうか、皆で文句言ぃまひょか……、ちょっと待ちなはれ、あの人だけ何か腕組んで「うん、そぉやろ」ちゅうてまっせ。もし、お宅だけ何やらさっきから腕組んで「そら、そぉや」言ぅて一人でうなずいてまんなぁ、どぉいぅこったんねん?

町民
町民

そらまぁ、そぉでっしゃろ。そぉいぅことになりまっしゃろ

町民
町民

あんた、谷風と佐野山がこぉ当たるちゅうのん不思議に思いまへんのん?

町民
町民

そぉらまぁ、そぉやろと思いますわ

もし、ちょっと寄って来なはれ、この人何ぞ知ってまっせ……、何ぞおましたんか、何ぞ?

町民
町民

いやぁ~、お宅らに言ぅても分かりまへん、お宅らに言ぅても分からしまへんさかい

町民
町民

そんなこと言わんと教えとくなはれ、知ってんねやったら教えとくなはれな

町民
町民

いや、分からしまへん

町民
町民

教えてぇな

町民
町民

そこまで言ぅんやったらまぁ、ボチボチ言ぅたげますけど

町民
町民

お願いしますわ。

町民
町民

ん……、こら「遺恨相撲」だんなぁ

町民
町民

「遺恨相撲」?

町民
町民

そぉでんがなあんた、天下の横綱と「でるとまけ」が当たりまんねんであんた「遺恨相撲」以外なにもんでもおまへんがな

町民
町民

どぉいぅこった? 詳しぃこと教せとくなはれ?

町民
町民

お宅らに言ぅても分からしまへん

町民
町民

そんなこと言わんと、教せとくなはれ、どぉいぅこったんねん?

町民
町民

そんなら言ぅたげますわ、ちょっとこっち寄んなはれ

町民
町民

寄りまひょ寄りまひょ、どぉいぅこった?

町民
町民

さぁ……、あのなぁ、ちょっと前ですかなぁ、谷風が嫁はんもろたちゅうのん知ってますか?

町民
町民

聞ぃてま聞ぃてま、何でも柳橋一番の芸妓やったそぉだ

町民
町民

そぉでんがな、別嬪さんだんがな。

町民
町民

嫁はんもろて、すぐに大阪のこれ、相撲が決まった。で「お前も大阪へ行くか?」てなもんでんがな。嫁はん嬉しぃがな「行かしてもらいます」てなこと言ぅて嫁はんが付いて来ましたんや

町民
町民

ほぉ。

町民
町民

さぁところがやな、嫁はん、大阪へ着いてから二人で一緒におられるかいなぁ思たら、そぉはいきまへんで。谷風はあっちのお得意へ顔を出す、旦那衆、贔屓衆に顔を出すと、こぉいぅことになりまっしゃろ。嫁はん部屋に一人置きっぱなしだ、嫁はんも「オモロないなぁ」と思いまんがな

町民
町民

あぁ、なるほどなるほど。

町民
町民

一緒にいてられると思て来たのに、あかなんだ「何でこんな大阪へ付いて来たんやろなぁ」てなことを嫁はんがね、胸の中で思いだした時にでんな、佐野山がちょっとした用事があって、嫁はんが一人の時にこの部屋へやって来ましたんや

町民
町民

ほぉほぉ、用事て何んでんねん?

町民
町民

お宅らに言ぅても分からしまへん。まッ、ちょっとした用事があったわけだ。で「ごめん」てなこと言ぅて入って来たわけだ。そらあんた柳橋一番の芸妓でしたんやで、別嬪さんでっしゃないかいな。

町民
町民

佐野山、こらあんた男前でっせ。相撲は弱いけど男前でな、苦みばしったえぇ男でっしゃないか。谷風、相撲は強いけどあかんなぁ、こらあんた大福、下駄で踏んだよぉな顔してまっしゃろ、そこいくと佐野山、男前でんがな。

町民
町民

で、いつもあんた、谷風の顔を見てたのが、佐野山の顔をピャッと見たさかいビックリしたわけだ、嫁はんのほぉが「あッ」てなもんでんがな。佐野山も「おッ」てなもんでっしゃないかいな「あッ」と「おッ」であんた、二人でバッ。

町民
町民

そしたら女はやっぱり気が弱いでんなぁ「ン~ン」倒れてしもたんだ。佐野山が「大丈夫でごんすか、姐さん?」見たらあんた、震い付きとなるよぉな別嬪さんでっしゃろ、そこで二人がゴチャゴチャとややこしぃことになってしまいましたんや

町民
町民

なりましたか?

町民
町民

なりましたんでんなぁ。これ、誰知るまいと思てましたら、あることが元でこれがあんた、谷風の耳に入りましたんや

町民
町民

どんなことが元で?

町民
町民

お宅らに言ぅても分からしまへん。まッ、ちょっとしたことが元でね、谷風の耳に入りました。

町民
町民

ほな、谷風怒りまんがな、佐野山をガ~ンといきたいと思うけどね、そんなもん道端とかあんなとこでガ~ンいたらね、具合悪いでっしゃろ。土俵の上なら叩き殺したかて罪にはならんちゅうんで、千秋楽結びの一番ね、谷風と佐野山が当たることになりましたんや。

町民
町民

それホンマでっか?

町民
町民

まッ、おそらく、そんなことやろと思いますわ、わたしわ

町民
町民

ちょっと待ちなはれあんた、それホンマと違いまんのかいな……

町民
町民

まぁ、しかし楽しみでっせ、そんなことがあるかないかはともかくとしてでんな、佐野山と谷風が当たるちゅうことは滅多におまへんがな、そぉでっしゃろ。まして、大阪相撲が千秋楽結びの一番取んのは久し振りでっしゃないか。

町民
町民

こぉなったらね、谷風贔屓にしてる場合やおまへんで、佐野山の贔屓になりまひょ。せやなかったらあんたね、大阪のもんとして情けないでっしゃないかいな、そぉでっしゃろ、佐野山の贔屓になりまひょ。わたいねぇ、佐野山が谷風の肌にちょっとでも触ったら一両の祝儀出しますわ。

町民
町民

何言ぅてなはんねんあんた、触るぐらいは触れまっしゃろが

町民
町民

お宅らそぉ思てたらあきまへんで、触れまっかいな、相手は天下の横綱でっせ、触ることもできまへんで。触りに行きかけたと思たらね、張り手っちゅうやつであんた、顔バ~ン張られまんねんであんた。

町民
町民

この張り手がまたスゴイんだ、谷風の張り手。八角政右衛門ちゅう相撲取りがいてましたんや、それがね、谷風の張り手バ~ンいかれて八角の顔が三角になったちゅな、そぉいぅ話があるぐらいのもんでっせ。ホンマだっせ。

さよか、触れまへんか?

町民
町民

触ったら一両出しますわ

町民
町民

よし、わしねぇ、前褌(まえみつ)取ったら五両出しますわ

町民
町民

わたい、双差し(もろざし)になったら十両出しますわ。それからガ~ッと押して行ってね、ぎりぎりのとこまで行ったら二十両出しますわ。

「勝ったら百両出しますわッ!」と、勝つわけないと思てるさかいね、みな言ぃたい放題でございますなぁ。さぁ、皆、大盛り上がりに盛り上がる。

伊丹屋
伊丹屋

関、何でこんなことになったんや?

佐野山
佐野山

さぁ? 分かりませんがなぁ、わしも聞ぃてビックリいたしとります。しかし、谷風関と当たらしてもらうといぅのはありがたいこって。

伊丹屋
伊丹屋

ん、わしも贔屓にしてて鼻が高い、長いことあんたの贔屓をしてるがなぁ、こんな鼻の高いことは初めてや。あしたな「しっかりと取っておくれ」と、贔屓として言ぃたいとこやがな、しっかり取ったらあかん。

伊丹屋
伊丹屋

な、相手は天下の横綱、あんたは弱い。な、まともに取ったらあんたの命がない、そぉやろ。あんたの体のほぉがわしらは大事やさかいな、勝ち負けはもぉえぇ、取らしてもらうだけでもぉ十分やさかいな、決して一生懸命取ったらあかんで。

伊丹屋
伊丹屋

あんたの命が大事やさかい、あかんと思たらこけなはれ、こらあかん思たら足出しなはれ、そぉしなはれ。しっかりと負けなはれ

佐野山
佐野山

ケッタイな励ましでございますなぁ……、負けるんでございますか?▲さぁ、あんたの体が大事やさかいな、わしゃな、贔屓として言ぃます。

伊丹屋
伊丹屋

けどな、関……、すまん、贔屓としていっぺんだけ言ぅてみたいことがあんねん、けど決してこれは真に受けたらいかんで、忘れてや、聞ぃたあとすぐ忘れてや、聞ぃたあとすぐにな。

伊丹屋
伊丹屋

本気にしたらあかんで、ただわしがちょっと言ぃたいだけやさかいな、決して本気にせんといて、すぐ忘れて、えぇか。言ぅけど……「勝ったら千両やるッ!」忘れて、忘れて、忘れて、もぉ忘れてや。

伊丹屋
伊丹屋

気持ち良かったなぁ。もっぺんだけ言わして、すぐ忘れてな「勝ったら千両やるッ!」忘れて、忘れて、忘れて、もぉ忘れてや。そんなんは忘れて、あしたあかんと思たらこけてしっかり負けなはれ。

「分かりましてございます」さぁ、不思議な励ましを受けましてね、その晩、佐野山は寝たんでございます。 ガラリ夜が明けます、朝の早いうちから鳴り出します一番太鼓「天下泰平、五穀豊穣、国家安穏、ドドンガ・ドガドガ、ドドンガ・ドガドガ」と鳴り出すわけですなぁ。 もぉ、お客さんは朝の早いうちからドンドン・ドンドンと相撲場へ詰めかけます。今みたいにこぉ屋根があるところやない、ムシロのよぉなもんをこぉ張り巡らしましただけのところでございます。晴天十日の大相撲、雨が降ったら日延べ日延べでございますわなぁ。 そこへお客さんがギッシリと詰めかけた。そらもぉ、結びの一番の谷風と佐野山を見たい、これだけでございます。中にはちょっとズルする人がありましてね、周りこぉムシロで囲ぉてあるだけでございますんで、ちょいちょい破れがありますわなぁ。 そぉすると、今でいぅたら入場料を払わずに、そこからゴ~ソゴソと入って行くよぉな、そんな人があるんでございます。ところがいつも、周りを褌担ぎが回っておりましてね「お客さん、そんなとこから入ってもろたらどんならんなぁ、向こぉから銭払ろて入っとくれ」ズバ~ッと引き抜かれるんでございます。 頭のえぇ人は頭のほぉから入らんのやそぉです、足から入って行くんやそぉですなぁ。ほな褌担ぎが「お客さん、こんなとこから出てもろたらかなん、入ってなはれ」て、ボ~ンと中へ押し込んでくれるんやそぉです。いつの世にも頭のえぇ人はおるんでございますなぁ。 相撲番数取り進む、何が山には何が海、何が嶽には何が原、鍋の底には桶の蓋、不思議な名前がある。さぁ、ドンドン・ドンドン、相撲番数取り進みます。 いよいよ千秋落結びの一番、呼び出し奴(やっこ)がヒラリ扇子を開いて土俵の上へあがります「ひが~し、谷風、たにぃ~いかぁ~ぜぇ~。にぃ~し、佐野山、さのぉ~おやぁ~まぁ~」 「谷風ぇ~ッ!」「佐野山ぁ~ッ!」「谷風ッ!」「佐野山ッ!」……

谷風
谷風

佐野山関、良かったのぉ、きのうまでは「谷風、谷風」の声ばっかりやったが「佐野山」の声も結構多いぞ

佐野山
佐野山

ありがとぉごんす、ひとつよろしゅお願いいたします

谷風
谷風

ん、負けてやるわけにはいかんがなぁ、そこそこえぇところまでは取らしてやるでな。

町民
町民

ちょっと見てみなはれあんた、谷風ニコニコ笑ろてまっせ。佐野山泣いてまっせあれ、やっぱり遺恨相撲ですわあれ、遺恨相撲だあれ「叩き殺したるわ」言ぅて笑ろてまんねん「堪忍しとくなはれ」言ぅて泣いてまんねんで、ホンマに憎たらしぃでんなぁ。谷風の、アホォ~ッ!

伊丹屋
伊丹屋

ほぉ「谷風のアホ?」きのうまで「谷風、神さん」言ぅとってくれたのに今日はアホか、おおきありがとぉ

町民
町民

ちょっとちょっと、あんた今「アホ」言ぃましたやろ、あんたのほぉギロッと睨みましたで「あとで裏で待っとけ」ちゅな目で、あんた睨みましたで。

伊丹屋
伊丹屋

そんな目ぇしてました? 今「アホ」言ぅたんね、この人でっせ

町民
町民

んなアホなこと言ぃなはんな。

真ん中で行司が仕切ります。ジリジリッ、ジリジリッ「まだよ、まだよッ、ヨイショ~ッ」と軍配を引ぃた。

町民
町民

ちょっと見てみなはれ、触った、触った、谷風触りました。あんた「一両祝儀出す」言ぅてたなぁ

町民
町民

空耳でっしゃろ?

町民
町民

そんなこと言ぃなはんな、あんたしっかり言ぅてましたがな。あッ、前褌取りました、あんた「五両出す」言ぅてましたなぁ

町民
町民

ちょっと用事が……

町民
町民

何が用事でんねん、ちゃんと祝儀やんなはれや。

町民
町民

さぁさぁさぁさぁ、前が五両? 双差しになったら十両かい? 双差しになれ、双差しに。金がかかってるのならなれ。さささッ、双差しが……

町民
町民

十両になりましたで、押して行ったらあれ二十両でっせ

町民
町民

そぉか、二十両の金がかかってんのか、押せ押せ押せ押せッ。

佐野山
佐野山

もぉあかん、もぉ横綱あかん。何も食べとらんで腹に力が入らんで、このまま腰砕けになる

谷風
谷風

それでは祝儀にならんじゃないか、胸を押せッ、押せッ。分からんかい、手を持って行ってやるわい、こぉしてやったら押しとるよぉに見えるじゃろ。

佐野山
佐野山

押してまっせ、押してまっせ、押してまっせあんた。引きました、引きました、あら二十両。徳俵のとこへかかりましたで

谷風
谷風

このまま押せ、このまま、このまま打っ遣(うっちゃ)るでな、押しなされ

佐野山
佐野山

押してよろしぃかい?

谷風
谷風

押しなされ、押しなされ

佐野山
佐野山

えぇ~いッ!

「さのやまぁ~ッ」

伊丹屋
伊丹屋

関、あんた勝ちなはったなぁ

佐野山
佐野山

何で勝ったんや分からんうちに、勝ってしまいまして

伊丹屋
伊丹屋

いや、わしゃ嬉しかったなぁ。皆が「佐野山」言ぅたときに胸がス~ッとした。いやぁ~嬉しぃ、けどな、家売らんならんよぉになってしもた……

伊丹屋
伊丹屋

千両あげます、あげます。しかし嬉しかったやないかいな、わしゃこれからまた千両稼いでな、家買戻します。あんたにはちゃんと千両渡すさかい、嬉しぃ苦労が増えました

佐野山
佐野山

ありがとぉごんす

伊丹屋
伊丹屋

佐野山関、おめでとぉさんで。

伊丹屋
伊丹屋

こ、こらぁ、横綱

谷風
谷風

おめでとぉさんでしたなぁ

伊丹屋
伊丹屋

わたくしはな、佐野山の贔屓をいたします伊丹屋と申しますが、横綱、おおきありがとさんでございました。いえ、あんたの情け相撲やといぅことはよぉ分かっとります。佐野山が勝たれへんちゅうのは分かってますが、あんたの顔をつぶしてまで佐野山に花持たしていただいて、ありがとぉさんでございました。

谷風
谷風

旦那、手ぇ上げとぉくれ。わしゃなぁ、確かに途中までは情け相撲を取りました。ただ負けてやる気はなかった。そらそぉじゃ、天下の横綱が佐野山関に負けるわけにはいかんわい、徳俵のところでわしゃ打っ遣ろぉと思た。が、わしゃ要らんことを言ぅたんじゃ「押しなされ」と言ぅた。

谷風
谷風

あんな力が残っとるとは思わなんだんじゃ。そのまま押し出されてしもぉて、情けないことじゃのぉ。天下の横綱ともあろぉものが、あのぐらいの押しで足が出るとは……、情けのぉてのぉ。

伊丹屋
伊丹屋

横綱、あんたがちょいと足出たぐらい何でもおまへんがな、わたしみてみなはれ、千両も足出ましたがな。

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